2024年11月、三菱UFJ銀行の行員が貸金庫を無断で開け、金品を盗み取っていた事件が発覚しました。被害総額は時価にして10数億円にのぼるとされています。
このニュースを聞いたときに、「なるほど、貸金庫とは、そうきたか!」と思わず納得しました。貸金庫の中身は銀行が関知しない仕組みになっており、不正が発覚しにくい特性があります。また、形骸化した管理体制が不正を許した要因とも言えます。
この記事では、銀行員としての視点を交えながら、貸金庫の仕組みや事件の背景について簡単に解説していきます。
貸金庫の役割と収益化の背景
貸金庫のイメージと進化
かつて銀行の貸金庫といえば、「特別な顧客しか借りれない」「富裕層が使用する」といった印象が強いものでした。古い建物では分厚い金属に覆われた金庫室内に設置されていましたが、現在では進化し新設の場合以下のようなさまざまな形態が見られます:
・独立した貸金庫室
・貸金庫の個人用収納BOX(以下BOXとします)を別の金庫に格納するシステム
等、、、
銀行員の介在無しに、個人のみでBOXを開閉できるようになってきています。
貸金庫が収益源となった理由
貸金庫が銀行にとって重要な収益源となった背景には、銀行業界全体の収益構造の変化があります。低金利環境が続く中、従来の「預金を集めて貸し出す」というビジネスモデルでは利益確保が難しくなりました。その結果、貸金庫が「空間がお金を生む」フィービジネスとして注目されるようになったのです。
信頼から普及へ
かつては貸金庫の利用者は非常に限られており、申し込み者の多くが審査で断られていました。私が入行した当時も、厳格な審査基準が運用されていました。
しかし、営業店への収益目標が高まるにつれ、貸金庫の設置数や空き数が管理され、稼働率を高めるために利用基準が緩和されました。この結果、貸金庫のハードルが下がり、より広範囲な顧客に提供されるようになったのです。
貸金庫における現金保管の取扱い
契約上のルールと実態
貸金庫の申し込み時、顧客には「現金は預けないように」と説明が行われます。これは多くの銀行で共通したルールです。現金を保管する場合、以下の懸念があるためです:
- 脱税やマネーロンダリングのリスク
通常、現金は通帳に入金されるべきですが、貸金庫に保管することで疑念を抱かれる可能性があります。
ただし、預け入れ可能な物品のリストに「現金」が含まれていない一方で、禁止品目にも明記されていない場合があり、この点が曖昧さを生む要因となっています。銀行としては「現金は預かりません」と説明する一方で、実態としては顧客の判断に任せている状況です。
犯人が貸金庫を狙った理由
貸金庫が狙われた背景
貸金庫が犯行対象になったのは、不正が発覚しにくい環境が整っていたからです。以下の要因が挙げられます:
- 第三者の目を避けられる:貸金庫は顧客のプライバシーが尊重されるため、中身を確認される機会がほとんどありません。
- 中身の確認頻度が低い:現金を頻繁に確認する顧客は少なく、増減があってもすぐには発覚しない。
- 銀行員への信頼:貸金庫の厳重な鍵管理や封緘袋の存在により、「銀行員が不正を行うはずがない」というバイアスが働く。
貸金庫に目を付けた理由は、自身の責任範囲内で、第三者の目をかいくぐり、
バレずに搾取出来る可能性が最も高かったからです。
では、なぜ何年もバレずに搾取することができたのでしょうか。
それは、貸金庫ならではの特異性があったからです。
実際の貸金庫利用と不正の機会
表向きは現金の保管が禁止されているものの、実際には現金を保管している顧客も少なくありません。
(私が開扉を担当していた頃は、現金を入れるためにいくつものBOXを契約していたお客様もおられました)
この現金は税務署に把握されていない場合もあり、不足があっても誰にも報告されない可能性があります。こうした事情が不正を助長する要因になりました。
古い貸金庫の仕組みと管理体制の弱点
古い、昔からの店舗の貸金庫では、以下のような管理手順が一般的でした:
- 顧客と行員がそれぞれの鍵を使って貸金庫を開ける。(銀行員は退室)
- 顧客がBOXをテーブルまで運び、中身を出し入れする。
- 使用後に顧客がBOXを元の場所に戻し、施錠する。
しかし、ご高齢の顧客やBOXが重い場合、銀行員がBOXの運搬や格納を手伝うことがありました。この際、銀行員が中身を把握できる機会が生まれることになります。
実際に、BOXのフタを開けっ放しで格納を依頼される方や、
あまりにも内容物が多くて強い力で押さえつけないとフタが閉まらない、
などのお客様もおられました。
銀行員と顧客の関係
貸金庫対応の銀行員は決まった人数で、顧客と顔見知りになるケースが多く、次第に警戒心が薄れることがあります。このような状況から、BOXの中身を知る機会が増え、不正に至ったのだと考えられます。
貸金庫の鍵管理体制とその問題点
鍵管理の基本ルール
貸金庫を顧客抜きで開ける必要(相続時や税務調査時)がある場合に、スペアキーを 封緘袋に入れ、顧客と銀行双方の印鑑で封緘して銀行が保管しています。
従って、銀行の貸金庫管理では、当時以下の項目が検査対象とされていたと思います:
- 使用中のBOX数の確認
- スペアキーの数と一致確認
- 封緘袋の確認
具体的には、未使用BOXの番号と残存スペアキー番号の突合、
使用BOX番号と帳簿上のスペアキー番号の一致確認
封緘袋上のキー番号と使用スペアキーの帳簿上の番号の突合が行われます。
さらに、封緘袋が開封された形跡がないかもチェックされるのが通常の手順です。
実際の管理体制と形骸化
しかしながら、鍵管理の運用は形式化しがちで、以下のような問題が見られました:
- 確認の簡略化:封緘袋の状態確認が見た目に頼る場合が多く、念入りなチェックは行われにくい。
- 封緘袋の脆弱性:使用される封緘袋がスティックタイプの糊で封されている場合、接着が甘いケースもありました。
- 検査の形骸化:検査が定期的に行われていても、使用頻度の少ないBOXでは手順が形骸化しやすい。
これらの背景には、銀行の検査マニュアルは性悪説を踏まえているが、検査運用時点では性善説に基づいてしまっている点が影響しています。身内の不正可能性にいつの間にか目を向けずに検査が実施されており、その結果、不正が起こるごとに検査手続きが複雑化してきたものの、抜け道が残る状況となっています。
印鑑照合の課題
封緘袋に押された印鑑については、基本的にお客様の正しい取引印であると見なされています。ただし、以下のような問題が存在します:
- 再確認の省略:既に印鑑照合された袋については、さらなる検証を行わないことが一般的。
- 形式化された信頼:印鑑が正しいと認識されると、以降の手続きで検証が省略される傾向がある。
銀行では、お客様の印鑑を押印する書類には印鑑照合欄があり、 行員と役席が印鑑が届出印かどうかを確認します。そして、なぜか印鑑照合が終わった印鑑は全て正しいと思うのです。 もちろん、不正が行われていない限り、その時点では正しいはずです。 大概は金庫に入れて仕舞っているので、他の人が触ることも出来ず、基本的に印鑑が変わることはありません。
なので、印鑑照合が終わっている印鑑の、さらなる照合はしない傾向にあります。
このような運用の隙が、不正を許す結果につながった可能性があります。
管理体制の改善と教訓
今回の事件では、封緘袋の開封と再封緘、スペアキーの不正利用が疑われます。鍵管理体制の形骸化を防ぐためには、以下のような対策が必要です:
- 封緘袋の素材や仕様の見直し
- 検査プロセスの厳格化
- 定期的な再教育での意識向上
銀行業務では「検査は疑うことから始めよ」という教訓があります。本件はその重要性を再認識させる出来事と言えるでしょう。
今回のケースでは、封緘袋の封を丁寧に開けて丁寧に閉めたのか、
スペアキーを使用した後、新しい封緘袋に入れ替えて、同じような印鑑で封緘し、
印鑑照合印を新たに押したのか、このあたりが疑われますね。
銀行員が不正を働くとき
銀行員とお金の感覚
銀行員は、日常的に大量の現金を扱うため、自分の財布の中の「お金」と店舗内や集金で扱う「お金」を異なるものとして捉える傾向があります。
1,000万円の札束が目の前にあっても、「現金」ではなく「業務上の資材」として扱う感覚が芽生えるのです。
(なかなかうまく伝えられないのですが、少なくとも私は、業務上かかわる現金は、お金であってお金出ないような感覚でした)
しかし、一部の銀行員にとっては、この「業務上の資材」が再び「個人的なお金」に見えてしまい、困窮や誘惑に負けて不正に手を染めるケースが見られます。
不正の原因とパターン
経験上、銀行員の不正には以下のような典型的な原因があります:
- ギャンブル依存
- 異性関係のトラブル
これらが引き金となり、切羽詰まった結果、不正を行うケースが大半です。当初から計画的に不正を働く者は本当にごく一部なのだと思います。
ただし、銀行員の不正は皆さんが知るよりもずっと多いのではないかと思います
なぜ犯人の名前が公表されないのか
貸金庫契約の構造
貸金庫の契約は銀行と顧客との間で結ばれるものであり、銀行従業員は直接的な契約の当事者ではありません。そのため、従業員の不始末は「銀行の責任」と見なされるのが一般的です。お客様が問題を訴えるべき相手は銀行であり、従業員個人ではありません。
また、犯人の名前に関しては、最低限当事者(銀行と顧客)が把握していれば良いとされ、世間に公表する必要はないという考え方が根底にあります。ただし、銀行が従業員を提訴した場合には、マスコミを通じて名前が明るみに出る可能性があります。
名前が公表されない理由
なぜ、現時点(2024年12月28日)で行員の名前が出ないのか、とネット上では呟かれています。
(この風潮には賛成しかねる部分もあるのですが)
現在、銀行が犯人の名前を公表しないのは以下のような理由が考えられます:
- 顧客の信頼を守るため
不正行為の詳細を公表しすぎると、他の顧客の不安を煽り、銀行全体の信頼を損なう可能性があるからです。 - 内部処分の一環として対応
銀行内の規定により、内部問題を外部に公開する際には慎重を期している場合があります。名誉毀損などのリスクを回避する目的も含まれます。 - 捜査や裁判への影響を懸念
捜査中に名前を公表することで、捜査の公正さが損なわれたり、裁判に不利な影響を与えたりする可能性があります。 - プライバシーや法的な問題
日本では無罪推定の原則があるため、逮捕段階で加害者の名前を公表することには慎重にならざるを得ません。 - 他の従業員や取引先への影響を懸念
一部の従業員の名前を公表することで、同じ支店や銀行全体のイメージが悪化し、取引先との関係が損なわれるリスクがあります。
とはいえ、全ての確認が終われば、最終的に銀行が刑事告訴し、名前が公になることになると思います。
銀行の対応方針
これらの理由から、銀行は犯人の名前を公表するよりも、内部処分や再発防止策に注力していると考えられます。この対応は、顧客や取引先の信頼を維持するための必要な措置と言えるでしょう。
貸金庫を新しくする難しさ
全自動貸金庫への移行の課題
暗証番号やカードで管理する全自動貸金庫は、セキュリティの向上が期待できます。しかし、以下の問題が残ります:
- 暗証番号の忘却やカードの紛失
- 利用者の死亡や行為能力の喪失
これらの場合でも、銀行が単独で貸金庫を開けられる仕組みが必要となり、完全な解決にはなりません。
古い貸金庫の問題点
現在、多くの貸金庫は昔の銀行建物に設置された2鍵式の仕組みを持つものです。この貸金庫を新しくするには、以下の課題があります:
- 設備の更新に伴うコスト
重厚な金庫室を改修するには膨大な資金が必要で、銀行にとって大きな負担となります。 - 利用者との調整の難しさ
- BOXを移し替えるためには契約者に来店してもらう必要があります。
- 契約者が遠方に住んでいる、相続人に契約が移っている、または行為能力を喪失している場合、連絡や調整が非常に困難です。
- 保証人も当時の契約基準によっていない場合や、連絡が取れないケースが見られます。
- 資産の一時保管場所の確保
改装期間中、顧客の内容物を安全に保管する場所を用意する必要があります。- 顧客に自宅で保管を依頼するのは現実的ではなく、別の銀行に移される可能性もあります。
- 他行への流出は銀行にとって支店収益の減少リスクとなります。
銀行が改装に消極的な理由
これらの理由から、銀行は貸金庫の全面改装に消極的であり、現存の貸金庫を引き続き利用する方針を取っています。
設備更新には資金だけでなく、顧客対応や調整に膨大な手間とリソースが必要であるため、現状の維持が選択されているのです。
事件は氷山の一角か?
古い貸金庫の仕組み
貸金庫には、暗証番号やカードで自動的に開閉できる新しいタイプも存在しますが、
古い仕組みの貸金庫が依然として多く使われています。
- 古い貸金庫では、開扉届に印鑑を押印し、印鑑照合のうえ、顧客と銀行員がそれぞれの鍵を使って開ける方法が一般的です。
- この方法は通常問題なく運用されていますが、相続や鍵紛失、税務調査など、顧客不在の場合でも対応できる手段が必要とされます。
現在のリスクと課題
印鑑照合を経た封筒(封緘袋)が使われる場合、以下のリスクが存在します:
- 印鑑の照合が形式化:見た目の確認に頼り、細部を確認しないことが多い。
- 封緘の脆弱性:封筒がきれいに剥がされても気付かないケースや、印鑑が違っていても分からない場合がある。
三菱UFJ銀行では今後、スペアキーを本部で一括管理する方針を打ち出しました。
本部と貸金庫が分離されることでリスク軽減が期待されますが、
悪意を持った行員の工作により営業店から虚偽の理由で取り寄せられる可能性や
運用が風化することで、営業店内での信頼性が運用に勝り、一人の人に任せてしまうといったリスクも考えられます。
貸金庫の存続理由
貸金庫は銀行にとって収益源であり、防犯面でも役立つ設備です。
一部の店舗では貸金庫室を金庫としても活用しており、昼間は貸金庫、夜間は未使用の通帳や証書を保管することがあります。
このような、銀行にとって効率的な利用が続けられているため、収益面と合わせ、
貸金庫を廃止するハードルは高いと言えます。
利用者に内容物を引き取ってもらうには、手間とコストがかかり、実現は容易ではありません。
事件を受けた各銀行の対策の必要性
今回の事件が他行でも発生している可能性は否定できません。
また、前述の理由より現金の毀損を申告出来ない顧客もいることでしょう。
実質の被害額を算定することは難しいと思います。
銀行は顧客の信頼を守るために、以下のような対策を講じる必要があります:
- 鍵や印鑑の管理体制の見直し
- 運用ルールの厳格化
- 定期的なリスク評価と改善
仕組みの変更には多くの課題が伴うものの、銀行全体の信頼を回復し、リスクを防ぐためには必要な取り組みと言えます。
とりあえず、すでに他行でも実は同様の事例はあったかも知れませんが、
行員の方々は、おそらく新たな管理の仕組みが上乗せされることになると思いますので、本当に大変だろうなと推測します。
一方で、貸金庫は銀行都合のみならず、顧客からも根強いニーズがあることから、すぐに無くなることはありません。
旅行中のみ預けるなど、簡易に借りれる貸金庫などがあれば良いと思っていましたが、
今回のことで、当面は難しそうですね。
起業支援、各種コンサル、セミナー等をオーダーメイドで賜っております。
ご依頼や、お問い合わせなどは以下のフォームからお願い致します。
最新記事 by 西谷 佳之 (全て見る)
- 元銀行支店長が解説する貸金庫の仕組みと管理の実態 - 2024年12月28日
- 企業の女性活躍推進が進まない理由について ~施策や数値目標に焦点をあてることの限界~ - 2024年7月8日
- ピルの使用で女性と組織のパフォーマンスを上げる 「企業の福利厚生としてピルに注目するメリット」 - 2023年10月17日